2019年09月

2019年09月23日

八重山民謡 月ぬまぴろーま

先般NHK「新日本風土記」の竹富島編で<八重山民謡 月ぬまぴろーま>を聞いた。
初めて聞いた。聞いているうちに<越中八尾のおわら>にとてもよく似ていると思った。
共に用いる胡弓のせいなのか。それとも何か関連でもあるのか。
ネットで調べてはみたが、私の力量では判明できなかった。後日の課題にしておこう。

sss1s3 at 11:00|PermalinkComments(0)

2019年09月16日

備忘録

「・・・・・・
あの豊かで強靭でのびやかな繊細さの、むしろ音楽そのものであった人間のいうこととして、いまはユーモラスですらある不思議さだが、武満徹からくる折り目正しい文字の絵葉書には、たいていいつも、自分にいかに音楽を作り出す能力がないか、ということが書かれていた!
あきらかに天才であった音楽家の生涯のほぼ全域にわたって、その創作の過程で幾度も話を聞き、決まってその初演の演奏会で深い感銘を受けることを重ねてきた自分として、まったく不思議なことだが、私は彼の絵ハガキを読むたびに、武満さんが心にもないことを言っているとか、謙遜をしているー一体なんのために!ーとかは決して思わなかったのである。
私は彼の言葉をそのまま受け入れた。そして悲しみに近い粛然とした心で、現に今離れた場所で大きい仕事にひとり立ち向かっている人の深々として暗い内面を思い、それを内蔵しつつしっかりと明晰なただずまいを示している、バランスのいい小さな身体の様子を想像するようであった。
武満さんは、この宇宙、世界そして人間社会ーそれはまた、ひとりの個の内部といってもよかったにちがいないーをみたす沈黙と測りあう一つの音、と書かれた。自分はそれを探し求めているのだと。そのように深いものと天秤の錘がつりあう音楽を作り出そうと企てている。そのために宇宙と自分の内部に耳を澄ませて働いている人間が、自分の音楽を作る能力は小さいと嘆くことがあったとして、それは尊敬をさそう率直さではないか?
その場面に、悪魔のようなものが黒いしっぽの先を滑稽に立てて現れて、−ホラ、こういう音楽で充分じゃないか、武満さんが試作してゆくいくつもの楽譜の一葉を賢げにさしだすとする。武満さんは、少年のような率直さと柔和さを一瞬内面から切り裂く厳しさを表して、−いや、こういうものじゃない!と拒んだことだろう。そのようにしながらもかれは、自分の希求する音楽に向かって一歩進む。無限に深く、柔らかく、澄みわたっていながら、海中の昆布の林のように幾重にも層をなし動く回っている内面を、鋭敏に統御しながら、強い意志を持って・・・・・・・・」

<大江健三郎 私という小説家の作り方> より転載。



sss1s3 at 10:39|PermalinkComments(0)

2019年09月09日

不都合なことは無かったことにする・飯塚幸三編

飯塚幸三さんという社会的には立派な肩書の持ち主が
豊島区東池袋で4月19日、運転する車を暴走をさせ、自転車に乗っていた、松永真菜さん(31)と長女の莉子ちゃん(3)をはね死亡をさせ、7人が重軽傷を負うという事故をおこした。
通常なら現場で即逮捕ということになるのだが、その後の警察の対応が不自然すぎる。
そこで一瞬にして愛する奥さんと長女を失ったご主人がまっとうに処罰をと署名運動を始めたという。

被害者が署名運動までしなければなどどうかしている!
森友学園での公文書偽造などどうかしている件が白昼まかり通っている!

<不都合なことは無かったことにする×そうはいかんぜよ!>

sss1s3 at 10:35|PermalinkComments(0)
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